宇宙では哲学と科学は表裏一体。
2004年7月8日 宇宙への夢最近久々にまたタイムマシンについて考えてみた。
というか講義がつまらな過ぎてずっと本読んでたり勉強してて。
「タイムマシン」
どう思います?
出来る、出来ない、論理的には可能、実際は不可能、ありえる、ありえない、
すごーい、夢がある、ばかばかしい、おもしろい、いつかはあるはず、
あ、ガイ・ピアースの映画の・・・・だとか(笑)
いろんな思いがあると思います。
俺もいろいろ考えます。
でも、ホントにいろいろ調べて見ると意見を分けること自体が無意味な気がしてきます。
哲学的要素も入ってきます。
まず、科学的には、
(俺もまだ知らないことが沢山ありますので言い切るわけではありません。
この紙上がフリートークという性格上俺の想いも入ってしまいますので。
興味をもった人、疑問がある人は自分で調べるなり、質問してもらっても構いません)
「出来る」とは言えないが過去への旅は難しい、と言えるかも知れません。
未来には行けるというか(現段階での物理学では)相対的未来、には行けるのではなかろうか。
かのアインシュタインの提示した「相対性理論」では
全ての事象は相対的である。
光の速度は不変である。と受け入れられます。
俗に言う浦島太郎効果ですね。
同じ年のA君B君がいて、
A君が光のスピードに近い(光の速度秒速30万キロは超せない)速度で
数年間旅行をしてきた。
そして地球に帰還すると世の中は、B君は数十年年を歳をとっているというもの。
具体的な数値も実際は求めることが出来る。
放射線関係の計測でも証明されている。
これは、光の速度で動くものの世界は時間がゆっくり進む、という法則に基づいています。
しかし、時間にも絶対的な基準はないので比較できるものが存在して初めてそう言える。
時間だけでなく長さも短くなる。
宇宙を語る上で距離と時間は同じ次元である(なければならない)のです。
これについては式が存在する。
双子のパラドクス、やいろんな面白いこともある。
つまり、A君からしてみれば未来に着いたわけで、
B君からしてみれば過去のA君がやってくる、と感じるわけです。
まあ、自分のいない間に世界がものすごい速度で動くのだから寂しい気もする)
俺らが光のスピードだとかいろいろ思うことがないのも、みなが同じ時間を共有してるのも、時間は誰にでも平等である、と言えるのも、俺らがみんな地球と言う同じ物体に乗って宇宙遊泳をしてるので相対的な速度差が少ないから。マッハ1がどうしたっていうくらいの。
それでは果たして光の速度に近づくような速度を作れるのか。
僕たちの生活に光は必要不可欠。
ムードランプ、電光掲示板、なんやらかんやらある。
電磁波だって光の速度で進む。
ロケットについても、化学推進、電気推進、MPS推進、さらに反物質推進など
多くのものが実用化、研究段階、提案、されている。
これが果たして何十年、何百年、何百万年後に
(地球が存在、人間とは限らずとも知的生物がいたとして)
発明できないわけがないと考えるのも一理あるのではないでしょうか。
かつて人類は
空を飛ぶと言ったライト兄弟を馬鹿にした。
そして今は航空技術は必要不可欠な驚きも何もない当然の世界になっている。
かつて人類は
音速の壁(秒速340メートル程)を越えることは出来ないと考えた。
しかし軽く超えてしまった。
かつて人類は月を見て
星を見て夜をすごし、時計を発明し、星座を作り、夢見てきた。
そして今は衛星を飛ばし地球を外から見ることができ、月はおろか火星、探査をしている。
かつて人類は魚のように海にもぐりたいと考え、
今は船、潜水艦でもぐることを可能とした。
人は遠くの大切な恋人の声がこの場で今聞けたらなと思い、
今はいくらでも世界中に連絡をとれる。
世界中の事件や情報を家の椅子に座って得ることができる。
んでそんな乗り物ができるわけがないと言い切ることのほうが
危険だと思いませんか?
俺は、いつかは必ず出来る、人は絶対に作り出すと思っています。
そうなると俺の今日のあのシュートもはずさずに戻れるのかな・・・
今日はバスケの日だったんです。んでスリーポイントはずしまくった・・・・
あの日あの時あの場所に・・・・
人類は今、生物でありながら生物を作り出そうとしている。
沢山の失敗も犯してきた。
ダイナマイトはおろか核爆弾、原発事故・・・
けど科学は純粋な科学はきっと何かを生み出すはずだ。
それが幸せにつながるかは人しだいですよねー
時空の壁を越えることができたら
どうなるのだろう。
人生は川のように流れず、せき止めることになるのだろうか。
死ぬ、時間が宝物という概念がなくなると人はどうなるのだろうか。
映画のタイムマシーンでの印象に残った台詞
「人はみな一人ひとりがタイムマシーンを持っている
心の中に記憶というタイムマシーンを・・
というか講義がつまらな過ぎてずっと本読んでたり勉強してて。
「タイムマシン」
どう思います?
出来る、出来ない、論理的には可能、実際は不可能、ありえる、ありえない、
すごーい、夢がある、ばかばかしい、おもしろい、いつかはあるはず、
あ、ガイ・ピアースの映画の・・・・だとか(笑)
いろんな思いがあると思います。
俺もいろいろ考えます。
でも、ホントにいろいろ調べて見ると意見を分けること自体が無意味な気がしてきます。
哲学的要素も入ってきます。
まず、科学的には、
(俺もまだ知らないことが沢山ありますので言い切るわけではありません。
この紙上がフリートークという性格上俺の想いも入ってしまいますので。
興味をもった人、疑問がある人は自分で調べるなり、質問してもらっても構いません)
「出来る」とは言えないが過去への旅は難しい、と言えるかも知れません。
未来には行けるというか(現段階での物理学では)相対的未来、には行けるのではなかろうか。
かのアインシュタインの提示した「相対性理論」では
全ての事象は相対的である。
光の速度は不変である。と受け入れられます。
俗に言う浦島太郎効果ですね。
同じ年のA君B君がいて、
A君が光のスピードに近い(光の速度秒速30万キロは超せない)速度で
数年間旅行をしてきた。
そして地球に帰還すると世の中は、B君は数十年年を歳をとっているというもの。
具体的な数値も実際は求めることが出来る。
放射線関係の計測でも証明されている。
これは、光の速度で動くものの世界は時間がゆっくり進む、という法則に基づいています。
しかし、時間にも絶対的な基準はないので比較できるものが存在して初めてそう言える。
時間だけでなく長さも短くなる。
宇宙を語る上で距離と時間は同じ次元である(なければならない)のです。
これについては式が存在する。
双子のパラドクス、やいろんな面白いこともある。
つまり、A君からしてみれば未来に着いたわけで、
B君からしてみれば過去のA君がやってくる、と感じるわけです。
まあ、自分のいない間に世界がものすごい速度で動くのだから寂しい気もする)
俺らが光のスピードだとかいろいろ思うことがないのも、みなが同じ時間を共有してるのも、時間は誰にでも平等である、と言えるのも、俺らがみんな地球と言う同じ物体に乗って宇宙遊泳をしてるので相対的な速度差が少ないから。マッハ1がどうしたっていうくらいの。
それでは果たして光の速度に近づくような速度を作れるのか。
僕たちの生活に光は必要不可欠。
ムードランプ、電光掲示板、なんやらかんやらある。
電磁波だって光の速度で進む。
ロケットについても、化学推進、電気推進、MPS推進、さらに反物質推進など
多くのものが実用化、研究段階、提案、されている。
これが果たして何十年、何百年、何百万年後に
(地球が存在、人間とは限らずとも知的生物がいたとして)
発明できないわけがないと考えるのも一理あるのではないでしょうか。
かつて人類は
空を飛ぶと言ったライト兄弟を馬鹿にした。
そして今は航空技術は必要不可欠な驚きも何もない当然の世界になっている。
かつて人類は
音速の壁(秒速340メートル程)を越えることは出来ないと考えた。
しかし軽く超えてしまった。
かつて人類は月を見て
星を見て夜をすごし、時計を発明し、星座を作り、夢見てきた。
そして今は衛星を飛ばし地球を外から見ることができ、月はおろか火星、探査をしている。
かつて人類は魚のように海にもぐりたいと考え、
今は船、潜水艦でもぐることを可能とした。
人は遠くの大切な恋人の声がこの場で今聞けたらなと思い、
今はいくらでも世界中に連絡をとれる。
世界中の事件や情報を家の椅子に座って得ることができる。
んでそんな乗り物ができるわけがないと言い切ることのほうが
危険だと思いませんか?
俺は、いつかは必ず出来る、人は絶対に作り出すと思っています。
そうなると俺の今日のあのシュートもはずさずに戻れるのかな・・・
今日はバスケの日だったんです。んでスリーポイントはずしまくった・・・・
あの日あの時あの場所に・・・・
人類は今、生物でありながら生物を作り出そうとしている。
沢山の失敗も犯してきた。
ダイナマイトはおろか核爆弾、原発事故・・・
けど科学は純粋な科学はきっと何かを生み出すはずだ。
それが幸せにつながるかは人しだいですよねー
時空の壁を越えることができたら
どうなるのだろう。
人生は川のように流れず、せき止めることになるのだろうか。
死ぬ、時間が宝物という概念がなくなると人はどうなるのだろうか。
映画のタイムマシーンでの印象に残った台詞
「人はみな一人ひとりがタイムマシーンを持っている
心の中に記憶というタイムマシーンを・・
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